
去年の5月2日に、明石の牡丹寺・薬師院に行ってきました。
それほど広くない境内いっぱいに、牡丹が咲き誇り、それは見事でした。
今年は、ご近所の方が、4月28日に行かれたそうですが、
もう花も終わりかけだったとか。
今年は、少し早いようですね。




中国から伝わった七十二候には、「牡丹華」という候はありませんでした。
芍薬(しゃくやく)の仲間の中から、茎が木になるものを牡丹と呼び、
草の芍薬と区別するようになったのが、漢代(紀元前二世紀頃)以降。
そして、王宮や豪族の庭園で栽培され始めるのは、
隋から唐の時代(七世紀頃)なのだそうです。
七十二候ができた紀元前三世紀頃では、
まだ、牡丹という名前すらなかったのでしょうね。
牡丹は、平安時代には、すでに日本に伝わっていたといいます。
とはいえ、宮廷や寺院で栽培されていたにすぎず、
江戸時代、庶民の間に広がって一大ブームになったのだそうです。
そんなこともあって、渋川春海たちが「貞享暦」を制定した時に、
この候を設けたのでしょう。
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