『熊手性』(くまでしょう)

旧暦10月24日 庚申(かのえさる) 大雪次候 熊蟄穴(くまあなにこもる)
熊手と箕

写真は、十日戎で売られていた熊手。
「福熊手」とか[飾り熊手」と呼ばれていますね。

ほかに、熊手といわず、「さらえ(さらい)」ともいいます。
福をつけると、「福さらえ(さらい)」。

漢字は、杷、攫、杈などと書くようです。

底にたまっている土砂やごみをかきのけるという意味の
「さらう」や「さらえる」という言葉からきたものですから、
直接的な言葉ですね。

後方に見えているのは、よく「笊(ざる)」といいますが、
本当は「箕(み)」。
福をつけて「福箕」といいます。

十日戎は、箕の方が主流かな……。

ざるなら、どんどん漏れていくイメージですが、
箕は、こぼれるすき間もない目で編まれています。

「箕性」なんて言葉はありませんが、
『熊手性』より、ずっと欲深いかもしれませんね。

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コメント

木守り
高松のお菓子に『木守り』というお菓子がある。
あのお菓子、『木守り』っていうのは、『木守柿』が元になっているそうだ。

『木守柿』っていうの、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、若干、語りたい。

私たち人間は、自然の猛威にさらされ、自然の穏やかな環境に育まれて生きている。自分一人で生きているのではない。万物に支えられて生きている。だから、人間は万物と共生していく義務を負っている。目の前にある一切合財を持って行くようなことはしてはならない。鳥や獣にも食料として分け与えられねばならない。長いスパンで物事を見、対処しないといけない。こういった思想があるように感じられる。

秋、山へ山菜採りに出かける。地元の人は山菜を根こそぎ取はしない。それも、この思想が根底にあるように思う。

私たち人間は、自然の恩恵に感謝しつつ、優しくありたいし、あるべきではないかって、思う。

Re: 木守り
ムクドリさま

ありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。

私たちの先人は、おっしゃるように生きてきたのに、
いつから、その心を受け継ぐことを
しなってしまったのでしょう。

目先だけの、しかも、自分たちだけの利を追い求めるように
なってしまったのでしょう。

そのつけが、回ってきているような気もします。
なんとか、少しずつでも修正できないものでしょうか。

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